働いたら負けではないし、働いても勝ちではない。

フリーランス
Happy Couple Protecting Balance Between Work And Life With Family Paper Cut Out On Seesaw

今回の記事でわかるポイント

  •  人は目的もなく、長期的に働くことはできない
  •  人生で自由な時間は「10万時間」程度しかない
  •  仕事が楽しくなる工夫をしよう!
  •  人に偉いと言われるのが負けである

こんにちは、ライターのカタヤマです。GWも終盤となってきて、休み明け「仕事したくねぇー!」と感じている人も多いのではないでしょうか。心の底から湧いてくる気持ちは、どんな感情であれ大事にしたいものですね。さて、今回は「働いたら負けではないし、働いても勝ちではない」と題して、働くことについて少し掘り下げて考えてみたいと思います。連休明けの仕事が立て込んでいる人は、しばらく時間をおいてから見てくださいね。そういう意味で、閲覧注意の内容です笑

人は目的もなく、長期的に働くことはできない

もう、15年くらい前でしょうか「働いたら負け」という言葉が流行ったのは。この頃は“ニート”という言葉自体がめずらしかったと思いますが、15年経ってみるともうすっかりと定着しましたね。

時間が経過したからこそ改めて考察したいと思いますが、「働いたら負け」という言葉は何も労働や仕事そのものを否定しているわけではないような気もします。そもそも、ニートは親に養ってもらっている場合もありますし、その親は当然ながら働いてきたわけですから子どもがニートできる。

その点を踏まえて考えてみると、「頑張って働いても人並みに生活できないのであれば、働く必要はない。働いても、凡人にすらなれない」という心の叫びが聞こえてくるような気もします。

たしかに、15年前の話であれば、日本はまだ正規雇用・非正規雇用という考えよりも、正社員・プー太郎という考え方のほうが強かったように感じます。地域にもよるとは思いますが、私は地方出身であるためそうした捉え方はしていましたね。

当時のイメージとしても、ニート=プー太郎という見方のほうが強く、働くことについての本質的な議論はなされていなかったように思います。非正規雇用というのが、徐々に社会に浸透し始めた頃だったので、「働く意味を考えていたら、働けない」といった風潮もあったのかもしれません。

しかし、平成も終わってみると、すっかりニートという言葉も、非正規雇用という言葉も定着しました。中高年の引きこもりは若年層の数を上回っているようで、非正規雇用も全就労者の40%近く……、ちょっと働くということについて考えるべき時期ですね。

いろんな“働き方”をしてきて思うところ。

私はいろんな働き方をしてきました。大学卒業後に大企業に5年勤務し、派遣社員・アルバイトも経験しました。個人事業主として通販事業を行っていたこともありますし、フリーランスとして活動もしました。日経新聞で2年ほど、住み込みで働いていたこともあります笑 そして今は、小さな会社の経営者です。

さまざまなポジションで働いてみると、本当にいろんな経歴を持った人と出会いました。私は今も昔も、なぜ働くのか?と問われれば、お金の為だと答えています。なぜなら、働くことは人生の目的ではないからです。仮に、働くことに目的を見出したとき、人生の目的とは一体何になるのでしょうか。

いえ、別に私の個人的な意見ですので、誰かの価値観を否定する気はありません。しかし、私は人生の目的もなしに、人は長期にわたって働き続けるのは難しいと感じています。働くこと自体が目的となるなら、そもそも転職を考える必要はなく、ずっと同じ仕事をしていればいいですし。

結局のところ、「働いたら負けではないし、働いても勝ちではない」というのが私の考えです。働くことに勝ち負けなど、存在しません。勝ち負けがあると思うから、無用に自分の心や体を痛めつけてしまっている気がしてならないのです。

働くことは偉いでしょうか、偉くありません。じゃあ、働かないことは偉いでしょうか、これも偉くはありません。目的と勝ち負けは別の次元の話だと思います。

働きたければ働けばいいし、逃げたっていいし、休んだっていい。自分の仕事って、社会人としてずっと向き合っていくことですから、それほど自分を追い詰めてしまうのはナンセンスでもあります。

私はお金のために働くと書きましたが、それは自分の人生において「自由」を最も求めているからです。日本は法治国家ですし、厳然と決められた世の中のルールというものが機能しています。そのため、ただ待っているだけでは自由は永久に与えられないでしょう。

自由を得るための手段として、私は働いているだけです。フリーランスは「自由業」と言われますが、自由になることを職種として宣言しているだけであり、本当に自由を得られるかは自分次第でもあります。

手段が目的化してしまわないように、働くという行為が自分にとって何であるのかをたまには考えてみるのも良いかもしれません。

人生で自由な時間は「10万時間」程度しかない

work life balance word cloud – handwriting on a napkin with a cup of coffee

先日1本の動画をYouTubeで観ました。それは、人生の時間についてまとめられた5分程度の動画です。

仮に自分の寿命を79才としたときに、まず3分の1程度にあたる26年は睡眠に充てられます。残り53年です。

小学校に通うのは年間1200時間、6年間で7200時間。意外と短いですね笑 仮に小学校から大学まで通うとすれば、1200時間×16年=19,200時間+αで3年分くらいでしょうか。残り50年。

仕事はフルタイムで43年働くとして、10万時間を超えるとのことです。通勤時間なども含めると、大体13年分くらいに相当します。残り37年。

食事・家事・育児・介護などに充てる時間も、同じくらいで13年分と見積もります。残り24年。

テレビやNetflixを観る時間、スマホをいじる時間、ゲームやPCをやる時間。毎日何となく過ごしてしまう時間を合計すると、5年分ほど。残り19年。

友人や仕事仲間、恋人や家族などの人付き合いに充てる時間を5年分とすると、残り14年。

この計算だと、65才になるときに14年分の自由な時間を得られるはずですが、その時間は12万時間程度に過ぎません。病気やケガの治療のことも考えれば、実質10万時間くらいでしょう。

さて、人生を80才くらいまでと考えても、生まれてから自由に使える時間って10万時間くらいなのですね。私は今、35才ですがもう半分は使ってしまっているのでしょう。残り5万時間……7~8年くらいですか。

どんな道であれ、プロと呼ばれるまでには最低1万時間はかかるそうです。私の実感としても、そう思います。

残された10万時間をどう使うのか、よく考える必要があります。自由に生きるとは、そういうことだと。

ただ、「働き方を変える」「家事を効率化する」といった感じで、自由な時間を増やすことは可能でしょう。

ですので、仮に私が50才であったとしても、工夫次第で自由な時間を増やすことはできます。なので、自分らしく生きるのに、遅いということはありません。

そして、10万時間を使って「何もしない」という選択肢も良いものです。それこそ、自由であります笑

どう生きるのか、自分の人生の舵取りは自分で行ないたいものです。

仕事が楽しくなる工夫をしよう!

と、月並みな小見出しを掲げてみました笑 ただ、嫌な気持ちで仕事を続けるよりも、活き活きとした気持ちで仕事に取り組めるなら、それに越したことはありません。

現在の仕事でそれが不可能であれば、思いきって転職をするのも1つの選択でしょう。独立もまた1つの選択です。

ただ、転職をしたり独立をしたりしても、やはり少しずつ楽しくなるのは前述の通り、1万時間が経過した後だと思います。

エネルギーがなかなか湧いてこないなら、ニートもまた1つの選択。ただ、期限は決めておいたほうが良いですね。

仕事が商売やビジネスとして紐付けされている以上、楽しい仕事というものは存在しません。しかし、自分の心持ちやタスク管理次第で、楽しく仕事をすることはできます。 月並みですが、私は素直にそう感じているところです。

人に偉いと言われるのが負けである

人から褒められると嬉しくなるのが人情ですが、「すごい」「エライ」「先生」などと言われるときには注意も必要です。天狗になってはいけません、少なくとも私は自分をクズだと常に思うようにしています。

思うようにしているだけなので、別に自分を卑下して卑屈になるというわけではありません。卑屈になると嫉妬の渦に飲み込まれてしまうので、これはこれで注意が必要です。

要は何が言いたいかというと、他人からの評価で自分の評価を決めてしまってはいけないなということです。仕事についても同じであり、仮に「働いたら負け」という項目に該当するものがあるとすれば、私の場合は「人に偉いと言われて、自分でもそう思ってしまったときが“負け”」だなと。誰に?自分に負けたのです。

こういった心持ちでいると、他人から何を言われても気にしなくなりました。たとえ、罵倒されたとしても、別にその人から見えた自分の一部分に過ぎないからです。

人生は万事、「自分事」です。そうした覚悟を持ってしまえば、何かに怯えることもありません。自己中心的であれという意味ではなく、自分の人生をより良く生きるからこそ、周りにやさしくできる余裕も生まれるし、誰かと共に人生を歩んでも決して自分を見失わないということです。

働いたら負けではないし、働いても勝ちではない。楽しくいきましょう!

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