書評:『読みたいことを、書けばいい。』(田中泰延/ダイヤモンド社)

書評

 現代ほど「文章を書く人」が増えた時代はなかっただろう。作家やライターを生業にする人だけではなく、ブロガーやコラムニストなどプロとアマチュアが入り乱れる「インターネット」の世界の広がりとともに、「物書き人口」はどんどん拡大している。

 ところが「文章を書く人」が多くなっているにもかかわらず、「文章の書き方」についてきちんと教えてくれる人、教えてくれる本というのはなかなか見当たらない。あるとしても、技術論ばかりであり、「書くことの本質」について語る人は本当に少ないのである。

 本書『読みたいことを、書けばいい。』(田中泰延/ダイヤモンド社)は、現代の「物書き」にとっての大きな指針となる1冊だ。ただしこの本を読んで、「文章が上手くなる」などと期待してはいけない。本書の特徴は「著者の文章論をそのまま実践したらこういう本ができる」という一種のサンプルだからだ。

 この本の主旨は「あなたが読みたいことを文章にしなさい」というものである。つまり、タイトル通り。これが理解できるなら、おそらく読む必要がない本だ。ただ、「読みたいものを書く」というシンプルな思想は、聞けば納得できそうで簡単には理解できないだろう。そういう人はきちんと読むべきだと言える。

 文章を書くための「思想」が詰まった本書だが、そのなかでも特におもしろいのは「書くことは世界を狭くすること」という考え方だ。世界を切り取り、書き手だけが楽しめるように造形していく。その作業こそが、「書く」という行為だという。新しい何かを作ったり世界を拡張したりするものではなく、書けば書くほど世界は狭く、小さくなっていくというのだ。おそらくほとんどの人は「そんなわけない」と思うような話。けれども理解した瞬間、ハッとするような事実でもある。

 また思想とは別に、この本では「書くこと」につながるあらゆる行為についても語られている。たとえば「編集」だ。編集と聞けば、物書きにとっては最悪の敵だと感じる人も多い。とにかく編集者というのは作家やライターにいちいち文句を言うし、せっかく書いたものを修正させたり全ボツにしたりという「涙があるだけ鬼のほうがマシではないか」と思うほどの存在だ。

 しかし著者は、本来の編集とは「書くこと」に含まれる作業であるという。なぜなら「文章を書く」とは、「必要な部分を記し、不必要な部分を捨てること」だからだ。つまり編集とは書き手が自然と行うことであり、必然的にできないといけないことでもある。

 「読みたいことを書けばいい」というのは、思ったことをダラダラ書くことではない。自分が楽しいと思えるように書き、編集し、完成させることである。そのとき、「他人の目」を考える必要はない。なぜなら楽しいかどうかは、結局のところを本人にしかわからないからだ。他人が自分の書いたものを楽しむかなど、読み手本人以外にはわからないから、考えるだけ無駄だ。それならせめて、自分だけは楽しめるようにできる限り世界を「狭く」するべきである。

 他人に評価されることを考えず、ただ「自分が楽しい」という理由だけで続けられる人だけが文章を書けばよい。そうでない人は、書き手をやめて読み手に専念するか、芸能人やら起業家やらになって「評価してもらう」ほうが簡単だ。ただどういうわけか、「自分だけの文章」を書いているだけなのに、それが世間で「ウケる」こともある。そういう誰かの偶然を見て、「文章を書いてみよう」などと思う人間がいるなら、本書をしっかりと読むべきだ。

 いかに「本人が楽しい文章」が他人にとって「評価できない」かがよくわかる。本書は「評価」する必要がない。そのようなものは著者がさっぱり望んでいないからだ。それがよく伝わる。それなのに「評価したい」という意欲を抱かせるのだから、同じ物書きとしては腹が立って仕方がない。

 本当に「おもしろい本」である。あまりにおもしろいものだから、スラスラと読み切ってしまうのに、役に立つ部分は1割程度。ここまでくると「やられた!」としか思えない。書くことを楽しむ。その真理に触れてみたい人はぜひとも本書を手に取ってもらい、きちんとレジまで行き、正規の価格で購入していただきたい。

 せっかくなので、コピーライターでもある著者を見習って、勝手ながら本書にキャッチコピーをつけてみたいと思う。これは、本書に対する私の率直な感想でもある。

 「最後の1ページ――必ず笑い、事実を知る」

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