前編から引き続き、文章における「主観と客観」についてお話します。
主観的な表現は不要か?
ライティングの仕事において、客観的な表現を求められることが多いのは事実です。しかし、客観的な表現が不要かと言うと、そういうわけではありません。ライティングの仕事でも、主観的な書き方が求められる場面はあります。たとえば、旅行に関する「実体験にもとづいた記事」などは主観的な表現のほうが好まれます。
実体験にもとづいて書くわけですから、主観的であることは当然です。何よりも、実体験の記事の読者は、「ここに旅行に行ったらどんな体験ができるか」を知りたいわけです。お土産の種類や値段、正確なホテルの料金を知りたいわけではありません。そのため、「夏にここへ訪れるとこんな景色を見ることができる」「地元の人しか知らないおいしいお店を教えてもらった」といった内容を求めています。
言い換えるなら、「記事を読んで、まるでその場所に自分が訪れたような気分になりたい」と思っているわけです。そうした人に向けた記事では、客観的な情報はむしろ邪魔になるでしょう。
いま自分はどんな文章を書いているのか
文章を書くうえで、客観的な内容か主観的な内容かを意識するのはとても重要です。それは、原則として「2つの書き方を混在させてはいけないから」です。客観的な書き方は、正確性や信頼性を重んじます。主観的な内容は、共感に価値を置きます。もし2つの書き方を混ぜた場合、それぞれの利点を潰してしまうでしょう。
例文C
日本では少子化が加速している。子育てには経済的な問題もあり、簡単に出生率を上げることはできないだろう。実際、我が家でも子どものための絵本を一冊買うかどうかを迷ってしまう。おむつの値段に一喜一憂する自分がいることに気づくたび、「日本は子育てが難しい国だ」と感じてならない。少子化とは、こうした状況を放置した結果なのだ。だからこそ、もっと子育てを支援する仕組みを手厚くするべきである。
例文Cでは、最初と最後は客観的な内容を書きながら、中盤では主観的な内容を述べています。文章全体を見るなら、「少子化対策には、子育て世代への支援が大事だ」という主張です。ところが、その論拠が「我が家の事情」になっており、極めて主観的な話に終始します。そのため、文章の結論に納得するのが難しいのです。「それはあなただけの話では?」と言われてしまえば、返す言葉がありません。
だからと言って、主観的な文章としての共感を得られるかと問われると、それも難しいでしょう。「我が家の事情」に関する部分には、「うちも同じだな」と感じる人もいるでしょう。しかし、文章全体は客観性を帯びた内容になっているため、結局はその共感もすぐに失われてしまいます。
客観か主観かを決めてから書く
まとめると、「客観的な文章」と「主観的な文章」の違いが以下のようになります。
「客観的な文章」とは、情報提供を行うものです。だからこそ、正確性が問われ、信頼性が必要になります。正確でなければ意味がありませんし、信頼されなければ読者がまともに受け取らないからです。読者に新しい情報を与えるためには客観的でなければいけません。
「主観的な文章」は、共感を与えるものです。書かれている文章に対して、読者が「わかるわかる」と感じることに意味があります。あるいは、筆者と自分を重ねる「自己投影」ができることが重要です。下手に客観的な情報を入れると、せっかくのめり込んでいた状態から読者を引き離す結果になるでしょう。
つまり、主観と客観は相容れないのです。どちらが優れているということはありませんが、同じ文章に2つの書き方を混ぜると、どちらの用もなさない文章になってしまいます。そのため、「これから書く文章が客観的か主観的か」について、書き始める前にきちんと認識しておく必要があります。そして、主観的な文章を書く場合には、客観的な書き方を徹底的に取り除かなければなりません。もちろん、逆も同様です。
主観と客観の使い分けは、ライターとして仕事をするうえでとても重要になります。ここを理解しないと、クライアントの意図に合わない文章を書いて、大幅な修正を求められたりするでしょう。また、文章の内容だけではなく表現自体にも客観的・主観的を決める要素が含まれていることもあります。そうしたものを把握して、上手に利用できるようになれば、ライターとしてのスキルアップに繋がるのです。
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